職業訓練校の紹介には注意!ホワイト企業から結果的にブラック企業に転職してしまいました

大手コンピューター会社で、私は子会社の出向社員として出向いて働いていました。最初は定常業務が少なすぎて、時間を持て余し、暇なのが辛かったのです。ですが、コンピューターを覚えたくて仕方がなかった私は、150人もいるフロアを歩き回り、イラストを描いている社員を、しばしば見つけました。「これだ!」と思いました。




最初はホワイト企業でイラストの仕事を行う

うちの部署でもイラストソフトを使ってイラストの仕事をしている社員がいることが分かり、上司にチャンスを狙って、直談判しました。美大もデザイン学校も出ていない私が、果たしてイラストの仕事をさせてもらえるのが心配でしたが、描きたい欲求が強く、粘り強く上司を説得しました。

上司自身が絵心のある人だったこともあり、「よし、まずテスト的に自由に描いてみろ。ソフトの使い方は○○さんから聞きなさい。」と快諾してくれました。

今、思えば、あまりに稚拙な絵でしたが、私なりに動画にして、OL「河童の川流れ「」や、」「OLの一日」のアニメも作りました。それをみた上司は感心してくれましたが、「お前は芸術肌だ。ビジネスとしての絵としては使いづらい。」と一言。がっくりきた私でしたが、描くことの面白さを知った私はそれで諦めません。

半年かけてビジネスに向いた絵をあちこちでイラストを描いている人の仕事ぶりをみて真似て描いていきました。ようやく、ぽつぽつ、小さなイラストのお仕事がもらえるようになりました。1か月後には、完全にプレゼン用のイラストを任されるまでになりました。他の上司が心配して、出向社員なんかに絵をまかせて大丈夫なのか、という疑問にも、私の上司は、「大丈夫、信頼関係でつながっているから。」と言い切ってくれました。よし、上司の信頼を裏切らないぞ、と私も奮起しました。

それから3年間、怒涛のイラスト作成の日々。会社に泊まり込むこともあり、残業は終電帰りでした。かなり、体は疲れていましたが、仕事自体にやりがいを見出していたので、やり抜けたと思っています。また、3年間の間に会社の仲間とも楽しく交流できたことも良かったことです。

大手コンピューターメーカーが赤字決算!新たに職業訓練生に

勤める大手コンピューターメーカーが初めて赤字決算をだしました。ライバル社にシェアを奪われたのです。そこから、私の歯車も狂い始めました。リストラ的に出向を3月をもって終了とすると上部から辞令が下り、私は出向元に帰ることになりました。

しかし、子会社に戻ってもする仕事がないと上から言われました。時も時、丁度、職業訓練校の受験が迫っていることを知りました。そこではDTPを教えてくれるということでした。ブラインドタッチも2級の資格を取得できるコースです。これはチャンスと思い、訓練校を受験し入学できました。

職業訓練校でDTPを学ぶ

職業訓練校で、DTPとブラインドタッチ2級取得を目指して半年間、通学を始めたのです。その間、雇用保険がでました。DTPは、コンピューターで、ポスターやチラシ、雑誌や本のレイアウト作成ができる印刷業界、デザイン業界では欠かせない技術でした。

職業訓練校の先生方は、皆、丁寧に親切に教えてくれました。手取り足取りとはこのことです。私は30歳でしたが、上は50歳近い人もいました。若い人で18歳の人もいて様々な年代の人が一つのクラスにまとまり、朝10時から夕方4時まで指導を受けました。

時には、学校なので、遠足やバレーボール大会などもありました。社会見学などの行事もありましたし、夏休みもありました。

お昼はお弁当を持ち寄り、皆で談話しながら仲良く励まし合い過ごしたものです。

訓練校でのブラインドタッチの試験もみな合格して、DTPの研修も無事終えて、卒業となりました。

訓練校の担任の紹介でブラック企業へ転職

卒業当時は、就職が決まらず、一か月くらい無職でしたが、当時の訓練校の担任から連絡があり、紹介したい会社がある、とのことでした。

訓練校でつかっていたマシンと同じマシンをつかっている出版社の下請け零細企業でした。給料は前の、会社の半分以下でしたが、不満はありませんでした。取得した技術を生かして、スキルアップしたかったのです。

ブラック企業とは知らずに、面接は温和に進み即決で採用がきまりました。

当初は、出版社の社内報を作ったり、参考書を作成したりと、マシンの前で、粘り強く仕事をするのが性に合っていました。社長と、社長の奥さんが経理でいて、社員は私ともう一人の二人だけでした。パートが一人。このパートの人がとても優秀で人柄もいい女性でしたので、救われた部分は大きかったです。外注に入力を頼んでいたのでその外注さんが数名いました。

私は、ひたすら、マシンのまえで、チラシや社内報など作り続けて充実感を味わっていました。ただ、零細企業ならではの、納期があまりに短いのにはまいりました。明日までにこれだけやって!と社長から言われる始末。明日が納期?これが零細企業、下請け企業の宿命なのかと痛感しました。

ブラック企業だったのはそこの点ではありません。

社長が口説いてくる

なんと社長が営業で私とふたりきりで車にのって出かけるときに毎回口説いてきたのです。愛人にならないか、マンションを借りてあげる、僕は本当は離婚している、と毎回の営業のたびに言われました。半信半疑でしたけれど、社長をむげに扱うとその後、どんな仕打ちを食らうか怖かったので、「私は、気楽な一人が好きなんですよね。」と一応、毎回、スルーしていました。

愛人強要に応じようとしない私に対して、社長は段々、パワハラを仕掛けてくるようになりました。完全にキャパシティを超える仕事量、とDTP以外の仕事を大量に私に与えて、なおかつ一切、手伝ってくれることもありませんでした。
もう一人の社員も見て見ぬふりでした。私が社長に口説かれていることを知って、彼女は私に妬みを持っていたからです。

人柄のいいパートさんに相談しようと思いましたが、彼女もいろいろ、事情をかかえて、パート勤務なため、なかなか私も悩みを打ち明けられなかったのです。

社長の女癖の悪さは今回に始まったことじゃないと、ある朝、奥さんが、私にお茶を注いでくれながら、冷静に話してきました。怖かったです。私は何も悪いことをしていません。社長を口説いていませんし、お酒も飲めないため、社長とのお酒の席でも常にシラフでしたから、自分に非がないのに、理不尽さを感じました。

精神的に辛くなる

会社で孤立してしまいました。また大量の仕事をさばくため、毎日、夜中まで仕事でした。とうとう精神的に追い詰められていきました。まず昼食時、食欲がわかなくて、食べ物が喉を通らなくなっていきました。体重はみるみる落ちていき、最終的には38キロまで痩せてしまいました。その時は心療内科にかかっていて、主治医から、「すぐ仕事を休んでください。命の危険です。休職してください。」といわれ、「休職してまた、復帰してもあの大量な仕事が待っていると思うとつらい。」と答えて、会社を退職する用意に取り掛かりました。

退職金、他、傷病手当金の手続き、継続療養の手続きなど、うつ病になってしまった私にとって、社会保険事務所を行ったり来たりすること自体大変でしたが、退職の日まで、頑張りました。

事の全てをやっと優しいパートの女性に相談できたのは、会社を辞めるときでした。

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会社を辞めてからは

会社を辞めた私はフラフラしながら、実家へ戻りました。2年寝たきりとなりました。
とんでもないブラック企業を、訓練校の担任から紹介されたものです。担任もその会社がひどい社長だとは知らなかったようです。

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