大好きな仕事で鬱になって転職しました。「頑張らなきゃ」と仕事を義務に感じる必要はないです。

私は元々虚弱体質で、28歳現在身長157cmに対して体重が39kg。小学校入学の6歳の時、身長107cmで体重が12kg。生まれつき太らない体質ゆえダイエットをしたこともなく、毎日が低血圧や貧血と格闘の毎日。高校は何とか卒業出来たものの、専門学校は単位が足りず2校も中退。
そんな私が出逢った大好きな職場で起きたことを、少しお話しようと思います。




人生を変えるきっかけになった仕事は、メガネ屋さん

私が2つ目の専門学校を中退した時、21歳でした。出来る限りで通学し医療事務やFE等の資格は取得したものの、学歴が引っ掛かってしまい中々就職活動が上手く行きませんでした。そんな矢先にアルバイトでいいかとフルタイムのとあるメガネ屋の求人に応募しました。
応募の理由は至って簡単、制服がありハイヒールを履かなくて済むから

面接の際、今まで必ず聞かれていた「どうして2つも中退したのか」という質問をされることはなく「笑顔が素敵だから」とその場で採用がほぼ確定しました。
私はとても不思議で、何故学歴について問わないのか尋ねました。
面接担当だった店長は「接客に学歴は必要ありません。しっかり人の目を見て話せるかどうかなんですよ。」と笑顔で答えてくれ、私はこの人の元で働きたいと心から思いました。
そして更に採用決定の電話が来た際、店長は「あなたと一緒に働きたいんですが、どうでしょうか?」とへりくだった言い方をしてくださったのです。私の返答にNOの選択肢はありませんでした。

ただただ、期待に応えたかった

採用されて1年はアルバイトで過ごしました。
その間に上司は変わり、勤務店舗も変わりましたがこんな私を拾って可愛がってくれているこの会社に貢献したいと毎日必死で勉強しました。
上司は私のことをしっかり褒め、「怒る」のではなく「叱る」ことで私を伸ばしてくれました。

そして採用されてから1年後、正社員への昇格試験に無事合格した私の周りには上司だけではなく沢山の後輩も出来ていました。
昇進したことに比例して、責任ある仕事を任せられることが増え、ついに副店長を経て店長代理を任されることになり、私のやる気は一層漲って行きました。

体に不調

しかしその時から少しずつ体の不調を感じ取っていました。あくまで"店長代理"なので"店長"は別に存在しています。私は早く本当の”店長”になるために、店長業務をひたすらこなしました。給料に見合わない量の店長業務、しかし私が成長がするためだから…。

私の成果が店長の成果になる、しかし万一の責任はきっと店長が取ってくれるから…。周りの期待と自身への挑戦、それが私の内面を少しずつ壊していきました。

そして店舗で起きたあるトラブルの責任が私に回された時、私は思ってしまったのです。「なんで私がここまでやらなきゃいけないの?」とうとう私は店舗で自殺未遂をし、救急搬送されました。

自分の居場所が無くなる恐怖

今思えば「なんで私が~」とは、上司や自身に対する単なる甘えです。上司は自分よりも私の方が事態を収拾するのに適役だと判断した、ただそれだけでした。確かにあの時の上司は言葉足らずだったかもしれません。
それを私は責任転嫁された、見放されたと勝手に解釈し今思えば本当に情けないですがとんでもない行動を起こしてしまいました。

救急搬送されたものの、体に異常は無く心療内科の受診を余儀なくされました。そして半年の休職が決まりました。…いえ、決まったのではなく自分で決めた様なものです。
休職して暫くは食べ物が喉を通らず、自宅に引きこもっていました。
疲れた、何も考えたくない…。
両親はそんな私を心配し、仕事に関しては何も聞いてきませんでした。

薬による眠気、副作用のめまいや筋肉の痙攣…。低体重のため、薬の作用が良くも悪くも強く影響をするので入院し調整を行いました。薬と相性が合うまでに仕事と距離を置いたことで気持ちに余裕が現れた頃から、私は仕事のことがとても気がかりになりました。
「私が居なくてみんな大丈夫だろうか…。」
答えはもちろん「問題無い」です。

社会とは非情なもので、人ひとり欠けたところで回るものは回るのです。
その間他の従業員は忙しかったでしょうが、営業停止になったりはしないし他の人材で人手不足の穴を補うのが企業として当然です。
それが分かり切っているからなおさら、今度は「私に居場所は残っているのだろうか…。」と次なる不安が募るのです。

仮に私が復職したとして、周りが温かく迎え入れてくれるのか。
もう要らないと言われるんじゃないか。
むしろこんな私はこの職場から去った方が、むしろ周りのためになるのではないか。
早く仕事をしたい、戻りたい…でも、仕事をすることが怖い、行きたくない。
様々な葛藤の中復職の時を迎え、私は従業員から歓迎されました。
私自身の不安は杞憂でしか無かったのです。

しかし、安心の裏側には常に陰口を言われているのではないかという恐怖がついて回りました。
いつ首を切られるかも分からない、渋々居場所をくれているだけかもしれない。
もう、期待されていないのかもしれない…。
大好きな仕事なのに、強張った身体が思う様に動かない。
私は何度も休職しては復職を繰り返す様になりました。

転職先は病院の事務職

複数回の休職と復職の間に、私は学生時代の友人と結婚をしました。
主人は「もう君の人生は仕事が全てじゃない。休みたい時に休んで、楽になっていいんだよ。」と言ってくれました。それを機に退職し、ハローワークに通い面接1回目で転職先が決まりました。その際自身のプライドもあり、精神障がい者枠は使いませんでした。

次は病院の事務での仕事

次の仕事は病院の事務です。取得していた医療事務と今までの働きぶりを評価され、虚弱体質を伝えた上での採用です。
しかし今回の仕事は扶養範囲内での仕事にしました。

主人と話し合った結果、家事の合間にパートで働きながらネットでハンドメイドアクセサリーの販売、その傍らこうしてライターの仕事をする。
自分の身体と向き合い働き方を変えることで、私はみるみる元気を取り戻しました。

確かにバリバリと働いていた頃とは生活リズムが大きく変わり、物足りなさが無いかと言えば嘘になるかもしれません。
そして、私達夫婦に子どもが出来ないからこそ出来る働き方なのかもしれません。
何が正しい働き方なのか、その答えは十人十色人それぞれだと思っています。
決して私が正しいとも思っていませんし、正直これからどうなっていくのかも分かりません。

頑張らなくていい

私がこの記事で皆さんにお伝えしたいのは、「頑張らなくていい」ということです。「頑張りたい」という自身の欲であれば、目の前の仕事に邁進するべきでしょう。
しかし「頑張らなきゃ」と仕事を義務に感じていませんか?
今は良くても次第に、日に日に身体が…心が日常に削り取られていきます。「頑張りたい」のか「頑張らなきゃいけない」のか。
それが分かるのはあなた自身だけなのです。

身を粉にして働くことで、両親や家族を一時は幸せにすることが出来るでしょう。しかしその行為は数年、数十年のスパンで見た時にどうでしょうか?

「どんな業務もどんな人生も、1ヶ月じゃなく1年先を見据えたものでなければ意味がない」
これは私の尊敬する上司が退職の際に私にくださったエールです。
「頑張る」ではなく「顔晴る」ことが出来る仕事で、イキイキと働きたいものですね。
今一度、あなたの働き方を見直す良いきっかけになったらと思い、僭越ながら筆を執らせて頂きました。
毎日毎日、お疲れ様です。
どうぞ、今日は自身の身体を労わってあげてください。

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