神奈川県在住、42歳、男性既婚者、子ども3人です。
私の職業歴は、15歳の時に始めたアルバイトから多岐に渡ります。
私の職業歴!
15歳〜18歳までのアルバイト
引越し屋、大手スーパーの鮮魚部、コンビニ、大手パンメーカーでのケーキ作りのライン、交通誘導、ピアノ運び屋
高校生の割には色々なアルバイトをした私。
わ〜いわ〜い、こんなにお金が手に入った、と喜んでいた。
しかし実はここで社会の一面、仕事とは?などを肌で感じとっていたのかもしれない。
当時、そんな意識はまったくなかったが...
最初の就職は何でも屋
県立高校を卒業し、父親の知り合いが経営する港湾内での、何でも屋に就職。
これまで殆ど本気になって何かをやった事がなかった若かりし私。しかし何故か?社会人は本番だ!という意識があり、まずは辛くても石の上にも三年だ!と決めてその名の通り修行時代をおくった。
仕事はいわゆる3kで、きつい、危険、きたない、埠頭内の便利屋として様々な物を調達しては埠頭内の工場や船に販売していた。
会社は礼儀作法にも厳しく、朝は1番早く出社し、トイレ掃除から事務所掃除、ゴミ出し、出社される先輩や上司など全員に、出社されたタイミングで個々に、お茶やコーヒーを出していた。社長の運転手も兼務し、昼休みなどのに、黙って車を洗車していた。後から車が綺麗になっている事を知る社長からお小遣いをよく頂いた。可愛がっていただいた。
ここで得た事は私のこれからの貴重な財産となった。自己都合退職。
修行から本番と位置づけキャリアアップ
最初に就職した会社には4年間お世話になり、その後、巣立つようにして水産卸しのベンダー企業に2つ目の就職をした。
東証上場の連結企業だったが、なんと応募したきっかけは新聞の中に入っていた求職のチラシだった。
高校生のころ大手スーパーの鮮魚部でアルバイトをしていたが、アジとイワシの区別もつかないところから始め、13年、営業畑、最後は本社の営業部 部長になっていた。
34歳で現場から離れ、コンプライアンスの管理や会議、会議、また会議、今度は親会社と会議、などの管理職で、年齢に合わない良い経験ができたし、やりきることができた。自己都合退職。
35歳、3度目の就職は食品商社
完全な管理職で部下を50人ほど抱え仕事をしていた前職から、もう一度現場で!という思いもあり、予てよりお誘いを受けていた食品商社へ転職をした。いわゆるヘッドハンティングというやつだ。
ここでの肩書きはマネージャー、後にゼネラルマネージャー。
年収は1000万に届いた。
しかし、加齢と仕事の明らかな過労から、心身のバランスを崩してしまい、双極性障害と統合失調症を患ってしまい、休職、2度の長期入院、会社からの解雇通告。
私は失意の思いとともに治療に専念するために、38歳、この会社を退職した。またこの会社とは私が病気になった原因をめぐって労使紛争に発展した。会社都合退職。
治療に専念、無職時代
私の病気はなかなか重く、仕事どころか生活すら思うようにならない状態が長く続いた。
詳細は本内容とズレるので省くが、それは説明しがたい苦痛の毎日だった。
不幸中の幸いだったのは、それまでの貯蓄があった事。休職中から傷病手当金をもらっていたが、貯蓄があった事は無理に焦らなくてもよい多少の余裕になった。
週に4日精神科デイケアに通所、この生活を丸2年続けた。精神科デイケアでは、生活リズムを作る、他の通所者さんとコミニュケーションをはかる、手芸や簡単な運動をする、認知行動療法を受ける、などをおこなった。
認知行動療法は、自分の考え方のクセを認知して、それ以外の考え方はないのか?などを探り自分自身を楽にさせるものである。
これらの治療を経て長い月日をかけて徐々に回復、働こうという気持ちも強くなっていった。医者からはまだです、まだです、と繰り返されたが..
40歳にして風俗業
病気が完治したわけではないが、寛解し医者からの承諾を得て、また働くことが可能になった私。やはり健康が第一です。
これまで叩き上げながらも着実にキャリアアップしていった私だったが、病気をして長期間 仕事から離れて、これまでのキャリアも思い切って捨ててしまった。
捨ててしまったら、今度はまたゼロ発進、何をやってもいいんだ!とどうせなら普通なかなか人がやらない仕事をしてみようと、風俗業界に足を入れた。
いわゆるデリバリーヘルスだ。
ここでは個人事業主として、女の子な送迎や、顧客とのやり取り、契約書の管理、女の子の緊急時の対応、それとひたすらバスタオルを畳んでいた。
そうか〜、こうなっていたのか風俗業。
働いている人たちも特徴があったが、その線の人たちともウマが合い、価値観っていろいろあるなあ、と勉強になった。
さて、本気でまた仕事
風俗業界での仕事で復職した私だが、流石に家庭持ちでこのままという訳にはいかず、新たに真面目な職を探した。
この時は、求人サイトなどを使ってみた。
かつての業界からのお誘いもあり、高年収を稼ぐにはその道が良かったが、また病気になったら元も子もないので、丁重にお断りさせていただいた。
結局、人に貢献する仕事をしてみたい!という思いから、福祉関連の介護職の仕事に就いた。
老人への介護ではなく、柔道の障害を持たれている方への介護で、事前に勉強をしアカデミックな学校に短期通学をして資格を取得、ほどなく就職先が見つかり転職をした。
現在は週に50時間ほど居宅介護をしている。
福祉関連業で働く人も特徴がある。
非常に献身的な方が多い。人間性もよい。
給与面などで多少の不満はあるが、しばらく、やはり石の上にも三年かな?続けつつ、今後の展望に向けて動いていきたい。
今後の展望とは?
自分でやりたい仕事がある。起業することだ。また報告できたらと思います。
以上、私の職業歴!でした。