【転職三昧の人生】人生どうなるかなんてわからない




初めての就職はダイビングショップのスタッフ

大学卒業後、ダイビングショップのスタッフという珍しい仕事に就きました。なにせ初めての就活。既に内定が決まっていたカフェの店長を蹴り、なぜダイビングにしたのか...今でも不思議です。

入社してすぐ、友人の連絡先をリストアップさせられ、この時点で『怪しい!』と察知した仲間の半数は、1ヶ月足らずでどんどん退職。。

毎日毎日、テレアポだけの日々。お客さんが就いても、それは私の大切な友達。先輩スタッフが高い器材を友達に売る姿は、いてもたってもいられない罪悪感が押し寄せ、結果的にたった8ヶ月で私も会社を去ることにしました。

就職後、わずか8ヶ月で退職

せっかくの初就職も、ブラック企業と知らずに入社したゆえに、忍耐だけではどうにもならない職種だった為、転職を決意しました。
大切な友人の恨めしそうな姿を振り払いながら、新たな道を探すことにしました。

2ヶ月間はフリーター

実家に居座りながら、仕事を探す日々...。パソコンと長時間向き合いながら、自分はいったい何をしているのだろう...?何がしたいのだろう?何の為に生きているのだろう?と、哲学的な思いがよぎる日々。
正社員という肩書きを捨て、派遣として断念し、新たに仕事を探すにはあまりにも情けない姿でした。先の見えない不安に怯えながら、果てしない労力と根気が必要でした。

正社員では働けなかったホテル勤務

派遣社員として紹介されたのは、大手ホテルのカフェスタッフ。綺麗な空間と丁寧な接客。ビシッと決まった黒の前掛けのユニフォームを身にまといながら、颯爽と歩く自分の姿に酔ってしまうほどでした。
ここでは、和気あいあいとアットホームなメンバーに囲まれ、居心地が良く約3年間務めることができました。正社員としてでは経験できなかった女性のあれこれを、たくさん学ぶことのできた貴重な期間でした。

人生初のクローク業務

同じ派遣会社に新たに紹介してもらったのが、これまた大手のホテルで、今度は常備クローク業務。主に、クロークの荷物の預かりと引き出しでしたが、加えてドアマンやお客様のご案内も担当しました。

結婚式場の仕事だったので、ホテル業界の専門知識もないまま、先輩に手取り足取り教えて頂きながら、ようやく仕事内容を理解できるようになったのが1年半後。失敗や辛いことも多く、立ち仕事だったので体力的には疲労困憊でした。

付きっきりで教えてくれる先輩はたった1人で、緊張してなかなか打ち解けることができず、いつもイライラされていたのを覚えています。心は優しい方ですが、教育があまり上手ではなく、ポイントを絞って説明してくれるならまだしも、一つのことに対して長々と話す姿に、『こういう上司にはならないようにしよう...』と、心の中で反面教師にしていました。

でも、ここで出会った人たちは、今でも忘れられない大切な思い出が詰まっています。
こちらも約3年間務めた後、2011年の大震災を期に仕事がなかなか復旧しない状態だったので、転職を決意。

接客業から事務職へ思い切った転職

その後、別の派遣会社へ登録し、土日休みの規則正しい事務職へ転職しました。これまでは土日出勤が当たり前の接客業だったので、急に土日休みとなると、体が慣れるまでに時間がかかりました。
前職では、平日休みだったので、2日勤務して休み、4日勤務して休み...という具合に、連勤が短かったのが救いでした。しかし今度の仕事は、月曜~金曜までの9:00~17:30フルタイム勤務。初めてのパソコン作業なのに、5連勤...。

タイピングには自信がありましたが、パソコンの電磁波との闘いは、なかなか慣れることができず、忍耐が必要でした。事務の仕事は全く初めてで、ファイルの閉じ方やコピーやFAXの仕方も分からないまま、金融関係のデータ入力という業務に就きました。この会社に入って2ヶ月で、派遣会社の都合により雇用形態が会社と直接雇用となりました。
派遣社員からパート社員として勤務することになりましたが、パート社員の方が、保険の天引きを会社でやってくれたり、定期代が出たり、半休が取れたりと有利なことが多く、私はラッキーでした。

ここの会社に務めてから早5年。
キャリアウーマンタイプの女性に訓練されながら、メンバーはコロコロと入れ替わり立ち代わり...。
最初は仕事ができなかったので、できるパートさんから殺気を感じたり、隣に座っている派遣さんとの関係が良くなかったり、嫌な思いもたくさんしました。
よくここまで忍耐で乗り切ったなぁと、自分で自分を褒めてあげたいほどです。

現在は、会社が合併し、4年間共に働いた上司が異動となり、新たな上司と新たな勤務体制で試行錯誤しながら取り組んでいます。
仕事の上では、私が一番よく知っているベテランの域に達したので、頼られることが多くなりました。
かねてから、人を教育することに関心がありましたが、5年間の苦労を経て人を育てる喜び...。
これは、かけがえのない私だけの大切な宝物となりました。

人生はどこでどうなるか分からない

初就職で失敗し、転職三昧の人生。はたから見たら、惨めな人生かもしれません。ですが、派遣やパート社員として働くことを通して、たくさんの出会いと苦労を知り、多くの知恵と自信を得られました。
私は本当にラッキーガールだと思います。これから、この会社にずっといるかは分かりませんが、新たな境地を探索しつつ、希望をもって歩んでいきたいと思います。

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