世間を知らずに大企業へ
工業高校を卒業した私は教師に言られるがままに自動車製造工場へ就職しました。メーカー名くらいはさすがに聞いたことのある大企業でしたが、私自身、車に興味は全くありませんでした。
ただ、どこかに就職しなければいけないという理由だけで何も調べず、ただ言われた通りに受験し、採用され、地元を離れ、特急で3時間程の勤務地へ旅立ちました。
この一連の流れがどれだけ恵まれているかを知るのは五年も後の話です。
50人程の同期生がいましたが彼らは皆、目を輝かせていました。自らが望んで努力してこの会社に入ったと、とても誇らしげに語っておりました。
私は会社について何も知らないし、来たくて来たわけじゃないし、と反抗心のようなものを隠すことなく周りに打ち解ける事もなく研修期間を終えました。
当然、私に仲間などできることもなく、居心地が悪いまま正式配属が決まりました。
ヤンキーと呼ばれた四年間
そんな世間知らずな私が配属された先は塗装検査を担当するチームで、平均年齢50歳くらいの優しいおじさん達と、私より1つ先輩の男女が2人といった構成でした。
私は本当に世間知らずでしたし、いわゆる「ゆとり世代」と呼ばれるものの象徴と言った態度ばかりとっていましたが、それでもみんな優しく優しく接してくれました。
それに調子に乗った私は髪を明るく染め、少しでも気に入らないことがあるとすぐにイライラを態度に出しておりました。
会社の門から配属工程内、全社共通の社員食堂や更衣室への移動でさえ、そんな態度を隠すことなく、私の知名度が(悪い意味で)一気に広まっていきました。
それでも私はそれを自分らしさと勘違いして治すことなく過ごしておりました。
今思うと本当に恥ずかしいと後悔しております。それでもやはりチームのみんなは優しかったのです。そんな私でも貴重な若者ですから、仕事はどんどんステップアップしていくし、重要な役割だって回ってきました。そしてそれもまた有り難い事だとその時は知り得ませんでした。
ホームシックと冬鬱と。
なんだかんだ言って毎日は問題なく過ぎていきました。日本でも指折りの超優良企業の福利厚生と、生意気な私を笑って見逃してくれる心優しいチームメイトのおかげです。
なに不自由なく毎日が過ぎていくのです。でもそんな毎日の中でふと気がつくと心が空っぽになっていました。なにをしても楽しくない、笑えない、人と話すのも億劫になり、終いには部屋から外にでるのが辛くて辛くて仕方ありませんでした。
それでも欠勤するような勇気はなく、重たい足を無理やり動かして出社します。
できるだけ人と話したくないので今まで以上に人を近づけないオーラを放ちます。それでも優しくされると、もうどうしようもありませんでした。
部屋に帰った途端涙が溢れ出します。なんの涙なのかわかりません、でも、涙は止まる事なく押し寄せるのです。季節はちょうど秋のど真ん中でした。
日に日に短くなっていく日照時間と共に心も暗くなっていくのです。それと今まで強がって気づかない振りをしていたホームシックとか絶妙に混ざってしまった結果だと思います。
自分の気持ちを整理する
そんな日がもう何日も何ヶ月も続きました。ただ、常にそんな状態なのではなく、前向きな時と暗い時が波打って繰り返していくのです。それはとてもしんどかったです。
そして、こんなんじゃダメだと思い、気持ちを整理することにしました。まず、何がこんなにイヤなのか?何なら楽しいと思えるか?
それらをリストアップしていき、次に自分の現状を客観視してみました。出てきた答えは非常に簡単なものでした。
「自分は恵まれている」「でも現状に満足していない」「つまりとんでもない贅沢者だ!」
物資的贅沢よりも形にならない価値を
私の心を憂鬱にする一番の原因は単純作業でした。毎日毎日同じ時間にベルがなり、同じゆっくりのスピードでコンベアが流れ、ぴったり同じ台数を同じように検査していく。
特に難しいことなんて何もなく目をつぶってだって作業できる。
暇を持て余した脳が幸せとは何か?なんてグルグルグルグル瞑想を始める。
そしてそれらを加速させるのが「自分の好きな世界じゃない」という事実でした。
周りの同期達のように、そして1つ上の先輩達のように、自分の仕事に何1つ誇りを持てませんでした。
だって車は好きではないし、この作業がお客様に伝わるのか?と言われればイマイチピンとこないようなマイナー作業だったからです。
こんな気持ちで仕事をして、貰いすぎなんじゃないかと思う程のお給料を頂いて、生活に不自由することはなくても、物事の価値がわからないならそれは幸せじゃないんじゃないかと考えるようになりました。
自分の好きな物を知る
昔からこれと言った特技もなく、人に自慢できるような趣味もなく、どんな仕事なら誇りを持てるのだろう?と考えることにしました。
あらゆる求人サイトを探してみてもなかなかピンと来ません。こんなんじゃきっと今と変わらない、と焦りもしました。
そんなある日、高校時代の友人が結婚すると報告がありました。そこで生い立ち紹介のムービーを作ってほしいとお願いされました。
そうです、私にも何気に趣味があったのです!それはスライドショーのようなムービーをつくることでした。
高校卒業記念に3年間の写真をムービーにしたのをきっかけに、友人の誕生日や記念日に簡単なムービーをつくってプレゼントしていたのです。
でもそれを仕事にするなんてムリだと思っていました。だって専門学校を出ているでもなく、動画の勉強をいっぱいしたわけでもなく、知識もあまりないままに趣味の範囲でしていたことですから。
だから、友人からムービー製作を頼まれたときは、転職に結びつくだなんて微塵にも思うことはなく、ただただ「おめでとう」の気持ちでつくることにしました。
そして結婚式の日
今まで趣味で作っていたムービーは特定の友達にプレゼントしていたので、大人数の前で披露されるのは初めてのことでした。それにまだ若かったので結婚式自体経験がなく、とても緊張しました。
神聖なチャペルで交わされる誓い、華やかな会場で盛り上がるパーティ、素敵なお花に、純白のドレスを身にまとった同級生...ここはなんて素敵な空間なんだろう!というのが正直な感想でした。
そしていよいよ私のつくったムービーが上映されます。とてもドキドキ、恥ずかしくて周りはあまり見れませんでしたが、その場にいたたくさんの人が手を叩いて喜んでくれました。
新郎新婦の友人には何度も感謝され、両家のご両親は涙を流して「ありがとう」と言ってくれました。
自分の作ったものでこんなに人が喜んでくれたこと、あんな素敵な空間を演出する一部になれたこと、当時の私には充分すぎる理由になりました。
逃げる理由は捨てて
あの披露宴での感動が冷めない内に行動にでました。専門学校に行ってないだとか、専門知識がないだとか、そんなのはただの言い訳だと思いました。
探せばきっと高卒未経験でも雇ってくれる会社はあるさ!もしなくても直談判して誠意を見せるさ!と、自分でも驚くくらいの行動力と前向きな姿勢を発揮し、即座にハローワークへ行きました。
そして職種を映像製作に絞って求人を探しました。そして地元でちょうどいい条件の求人を1つだけ見つけました。
個人経営でまだ年数も浅い、社員も1人しかいないような小さな小さな会社でしたが、迷うことなく電話をしました。社員数が少ないというのがあってか、なかなか電話が繋がりませんでしたが、日を変えて、時間を変えて、諦めることなく電話し続けました。
そしてようやく繋がった時、すぐに面接にきてくれと言われました。準備していた履歴書を手に、片道三時間かけて車を飛ばしました。
そして新しい世界へ
全くの未経験業界ではありましたが、私の熱い気持ちと趣味の範囲で作った作品を評価してもらい、ついに映像製作の世界へ入ることができました。
映像製作だけでなく、ブライダルの世界もなかなか特殊な業界ですので、なにもかもが真新しく覚えることがいっぱいでした。
でもなぜでしょう、次々とやってくる試練をイヤと感じなかったのです。それどころか毎日が輝いているようでした。
ブライダル業界繁忙期の秋を乗り越えると冬がやってきます。冬は毎年鬱のような暗い気持ちになります。だから少し怖かったのです。が、びっくりするくらい輝かしい気分のままだったのです。
自分でやりたいと望んでやってきた場所だと、こんなにも変わるものなのか、と笑ってしまいそうなくらいでした。
もちろん現実は良いことばかりじゃありません。ブライダルは一見華やかですが、一生に一度しかないセレモニーですから失敗は絶対許されない、とても責任のある仕事です。
だから少しのことで現場はピリピリするし、繁忙期は時間外労働も当たり前だし、お給料だって高くはありません。でも1組1組と向き合い、長い時間をかけて準備し、結果を直で体感できる、そんなことに価値を感じることができるのです。
あの時の自分とは別人に
転職をして、三年目に入ります。最初は地元の田舎のほうで細々と経験を積んでいたのですが、やはり私は贅沢者ですから、「もっと」を求めてしまいました。
去年の冬から大阪の一流ホテルでブライダルの映像に携わることになりました。ホテルということもあり、身なりはきちんと、言葉つかいももちろんキチンと、自分のイライラを表に出すなんてあり得ない!
常に慎まやかにニッコリと。数年前の自分を横に並べてBefore・afterを見てやりたい!
それくらいに見た目も中身も成長したように思えます。
三年目といえどもまだまだ知らないことは多く、世間もどんどん進んでいきますから常に走っている状態。上司もとても厳しく、甘いことを言ってはいられないですが、とても幸せな毎日です。
仕事する為に生きている、訳ではないですが、やはり生きてる時間で大部分を仕事に費やす訳ですから、自分が好きなことをしないともったいない!って本当に思えます。